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研究室の紹介

行動システム科学講座 准教授 高橋伸幸

 社会の中で、人々は助け合って暮らしています。我々はこれを当たり前のことだと思っていますが、実は大規模な集団でこのような生活をおくっているのは人間だけで、他の種はこのようなことをしてはいません。

 なぜ人間だけが助け合いをするのでしょうか? それは、人間には他人を助けたいという気持ちがあるからだと普通は考えるでしょう。しかし、ではなぜそのような心を人間は備えているのでしょうか? この問いに対し、従来の心理学は答えを提供することができませんでした。

 

本研究室では、この問いに対し、そのような心が備わっていることが個人にとって適応的であるからである、と答えます。つまり、人助けをしたいという心を持つことを適応的にするしくみが社会には存在している、と考えるわけです。ただし、そのようなしくみは天から降ってきたものではなく、人々が意図するしないにかかわらず、自ら作り出しているものであるとも考えます。このように、人間の心のはたらきと社会のしくみとの間の相互規定関係を扱うのが、マイクロ・マクロ社会心理学です。

 はじめに述べたのは利他行動の例でしたが、それ以外にも、差別問題、グローバル化に伴う人間関係の変化、環境問題に代表される協力問題の解決、集団の持つ意味、不公正の是正など、マイクロ・マクロ社会心理学が扱うべき問題は多岐にわたります。これらの問題は、上位のレベルでは全て、社会を理解することにつながります。人間の社会は、ホモ・サピエンス誕生時の狩猟採集社会から、現在の高度情報化社会まで、なぜこのような変化を遂げてきたのでしょうか? そして、将来どのような変貌を遂げていくのでしょうか?

 このような大きな問いに答えることは、全ての社会科学者(社会について研究する科学者)の見果てぬ夢です。社会科学と呼ばれる学問が誕生してからまだほんの数世紀、自然科学の歴史とは比べものにならないほど浅い学問ですが、21世紀を迎える前後から、急速にその発展が進み始めました。当研究室では、いくつかの基盤となる考え方を用い、21世紀、そしてそれ以降の社会科学の発展に少しでも寄与することを目指しています。

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基盤となる考え方

①マイクロ・マクロ社会心理学

 社会では様々な現象が生じています。それらはなぜ起きているのでしょうか?

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 我々はつい、それは人々が起こそうとしているからとか、人々が望んでいるから起きているのだ、と考えてしまいがちです。

 例えば、マスコミはしばしば、少年犯罪やいじめが激化・凶悪化していると報道し、それは昔に比べて親、地域社会、あるいは学校による子どもに対する教育の質が低下してきたからだと述べ、子どもたちに共感の心や道徳心を植え付けるような教育をすれば解決すると主張します。つまり、社会で起きていることの直接の原因は心にあると考えるわけです。別な例を考えてみましょう。仕事の上での性差別は当然禁止されていますが、就職の際に同じ能力を持っているならば女性は男性よりも採用されにくいというのが現状です。

 それは企業、あるいは人事担当者が「女性はダメだ」という偏見を持っているからなのでしょうか? 地球温暖化などの環境問題が深刻化していますが、それを解決するには、1人1人の市民の意識を変えていかなければならないと考える人は多いようです。本当にそうでしょうか? 東日本大震災の後、CMや歓送迎会、娯楽イベントの自粛が広く見られました。これは、人々がCMなどを控えたかったから起きたのでしょうか? 最後に、景気について考えてみましょう。不況は誰しも望まないものだと思いますが、もし直接の原因が人々の心にあるのであれば、人々が好景気を望むようにすれば好景気がやってくることになるはずです。しかし、本当にそうなのでしょうか?

 上に挙げた例は全て、人々の心や行動が社会現象を直接引き起こしているという考えに則っています。論理的な構造としては全て同じなのです。しかし、後の方の例になればなるほど、違和感を感じる人が多いでしょう。特に、景気は人々の心が直接反映されているはずはありません。もしそうなのであれば、各国政府は経済政策にあれほど苦労するはずはないからです。しかし、このような様々な社会現象は、個人の心とは完全に無関係に生じているわけでもないでしょう。では個人の心と社会現象との間の関係をどのように考えたらよいのでしょうか?

マイクロ・マクロ社会心理学では、社会現象は各個人の心や行動から成っているが、両者の間に直接的な因果関係は存在しないと考えます。各個人はそれぞれ自分で考えて行動を決定し、その結果の集積が社会に現れますが、単純な集積ではないと考えるのです。それは、各個人は他の人とは無関係に自分1人で行動を決めているわけではないからです。自分の行動は他の人の行動によって決まる、という原理が全ての人の間で成り立っている場合、各個人にとっては他者は影響を与えられる存在であると同時に、影響を与える対象でもあります。このような場合は人々が思いも寄らなかったことが社会で生じることがあるのです。そのような、個人の心や行動と社会で起きることの間の相互規定関係を解き明かそうとするのが、マイクロ・マクロ社会心理学の考え方です。この考え方は、心理プロセスを考えなければ経済学の考え方と非常に近いのですが、心理プロセスまで含めて考えるところが特徴です。

 このような観点に立つと、例えば上述の就職活動の際の性差別の例や自粛の例に対する回答は以下のようになります。

  • 性差別は、差別せざるを得ない状況が存在し、そこで差別することが差別せざるを得ない状況を再生産しているから、差別が存在しているのである。
  • 自粛の場合には、各個人は自分は自粛したくはないのだが、自粛しないと他の人から責められるのではないかと恐れて自粛する。これを多くの人々が行うため、社会全体としては自粛が生じてしまい、ますます自粛せざるを得なくなってしまう。

 このように社会現象を理解することは、社会政策にも大きな意味を持つでしょう。例えば、差別問題を解決するために人々の心に訴えかけるというのは的外れの解決策であると考えられます。より効率的な解決策は、人々に、差別が存在しないのが当然なのだと思わせることかもしれません。そのための一つの単純なやり方は、企業が男性と女性を同数ずつ雇用することを定める法律を制定することでしょう。このようなマイクロ・マクロ社会心理学の考え方は、各個人にとっての状況(自分の行動と他者の行動の選択の組み合わせにより何が生じるのか)を分析する手法であるゲーム理論と、様々な社会差を説明可能な枠組みとしての適応論的アプローチとの有機的連携により、多くの新しい研究を生み出しつつあります。

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②ゲーム理論

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 個人間の相互作用を分析する手法として、最も普及している方法です。

 複数のプレイヤーが存在し、それぞれが複数の行動の選択肢を持っている場合、選んだ行動の組み合わせによって、プレイヤーが2人の場合はペアのレベル、あるいは多数のプレイヤーが存在する場合は集団のレベルで何が生じるかを記述し、分析する手法です。

 ゲーム理論の確立により、プレイヤーの行動原理として何を仮定するかと、社会的帰結として何が生じるかの間の対応関係を分析することが可能になりました。ゲーム理論は、20世紀半ばに数学者と経済学者により考案され、20世紀後半に大きな飛躍を遂げました。現在では、ゲーム理論を通じて、細分化されていた社会科学諸分野が統合されつつあり、生物学や物理学とも相互乗り入れが始まっています。

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③適応論的アプローチ

 人間には様々な心理的メカニズムが備わっています。それらはなぜ備わっているのでしょうか?

 この問いに対する究極の答えは、「それが適応的である(あった)から」というものです。

 この観点を始めて心理学に明示的に導入したのが進化心理学です。進化心理学は、人間に備わっている心理メカニズムは、人類の進化の過程でそれを持つことが適応的だったために備わったのだ、と考えます。生物学では、身体の様々な特徴は進化の過程で適応的だったために獲得されてきたと考えますが、それを心にまで拡張しようとするのが進化心理学です。ただし、多くの場合、進化心理学で想定しているのは更新世の小規模な狩猟採集社会です。従って、そのような生活で適応的だったものは、現代社会でも適応的だとは限りません。例えば、塩分や脂肪に対する好みは、食料獲得が不確実だった当時は適応的でしたが、日本のような現代社会では成人病を引き起こす要因になっているので非適応的だと考えられます。

 しかし、適応論的アプローチは進化心理学よりも広い概念です。それは、進化心理学が多くの場合、遺伝子レベルでの進化を仮定しているのに対し、適応論的アプローチそのものはそのようなものを前提とはしていないからです。更新世が終わった約1万年前以降、人間社会には様々な形態が生まれました。そして、それぞれの社会において適応的な心の仕組みや行動パターンは異なっていると考えられます。

 例えば、同じ現代社会でも、日本とアメリカでは適応的な心の仕組みは異なっていることでしょう。このことは、文化に関する心理学的及び人類学的研究の蓄積とも整合します。ただし、それらの分野ではなぜ文化差や社会差があるのかを説明しないのに対し、適応論的アプローチでは、それぞれの社会では人々はそれぞれの社会において適応的な心の仕組みを身につけるため、文化差や社会差があると考えます。ただし、それは遺伝子レベルでの変化を伴っているとは限りません。おそらく社会化の過程でその社会で適応的となる心の仕組みを身につけるのだと考えるのです。当然、それには意識して社会の中でうまくやっていけるようにと望んで身につけたものではなく、自分で意識していなくても身についてしまったものもあるでしょう。従って、適応論的アプローチは、遺伝子を介さないで心理メカニズムを身につける場合や、その時に本人も意識していない場合もあるといった、全ての場合を含む概念なのです。そして、適応的であることの対象は、進化心理学で想定されているような物理的環境のみではなく、他者の行動であると考えます。しかし、当然、他者の行動は自分の行動に影響を与える存在でもあり、自分の行動が影響を与える対象でもあります。その意味では、適応論的アプローチは上に述べた①と②と相互補完的な関係にあると言えるでしょう。

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