“文化差”を再考する: 文化心理学が抱える存在論的・認識論的問題
日時:2025年7月30日14:45-16:15
場所:北海道大学文学部E棟3階 E304室
スピーカー: 草野広大(Post-Doctoral Associate, New York University Abu Dhabi)
タイトル: “文化差”を再考する: 文化心理学が抱える存在論的・認識論的問題
概要:
本発表は、(比較)文化心理学における国際比較研究の基盤を成す「平均の比較」という手法を再考するものである。従来の比較文化研究では、尺度の平均値を用いた国際比較が一般的に行われてきたが、その前提として、異なる文化間で同一の構成概念が測定されていること――「測定不変性(measurement invariance)」――が必要とされてきた。しかし、多くの実証研究でこの前提を満たしていないことが報告されており、平均値比較の妥当性には深刻な疑問が投げかけられている。さらに、準拠集団効果(reference group effect)などの影響により、主観的な意見を問う自己申告式の調査を、異なる文化的基準を持つ集団に適用すると、本来検出されるべき文化差が見落とされる可能性もある。
本発表では、著者の最近の論文をもとに、測定不変性(Kusano, Napier, & Jost, 2025, PSPB)と準拠集団効果(Kusano & Jami, 2025, CCR)に関する問題点を整理し、誤解を明らかにする。前半では、測定不変性という統計的手法の歴史的・理論的起源をたどる。特に、IQテストや教育心理学に由来する「個人選抜の公平性」としての妥当性の概念が、価値観や態度といった本質的に文化の要素を含む構成概念に、そのまま適用されていることの問題を指摘する。そして、システム正当化尺度の国際データを通じて、測定不変性を満たさなくても意味のある文化差が観察され得ることを実証的に示す。
後半では、このアプローチを応用し、準拠集団効果の理論的前提にある問題点を指摘した上で、自己申告による平均値の比較にも、一定の妥当性が認められることを示す。
これらの事例を通じて浮かび上がるより深刻な問題は、文化という概念が存在論的・認識論的に十分に理論化されてこなかったということである。近年の心理学は方法論的課題に焦点を当てがちであるが、それ以前に、概念的なアップデートこそが先決である。