題目: 「文化」を作り出す: 実験室で生み出す心の文化差

氏名: 矢原耕史

担当教官: 山岸俊男


 Markus & Kitayama (1991)以来、文化心理学に代表される一連の研究は、それまで普遍的だと考えられていた心理特性に、さまざまな文化差が存在することを報告してきた。しかも、その差異のあり方には一定のパターンが存在することも報告されてきた。さらに、近年の文化心理学のプライミングを用いた研究は、そのような文化的差異が、従来考えられていたよりも容易に変化し得るものである可能性を示唆している。

 本研究では、この文化心理学の先行研究を踏まえ、実験参加者にとっての社会的適応課題としてのレモン市場を実験的に発生させ、そこでの集団取引を実験参加者に対して繰り返し経験させた後に、その認知特性に生じる変化を測定した。その測定は、意識的な状況判断、半ば無意識的に表出するデフォルトの意思決定方略としてのヒューリスティック、そして、より内奥的な心理特性である注意の配分、の3つのレベルに分けて行われた。

 すると、市場の商品に関する評判を閉鎖的な集団内で流して社会を組織化することでレモン市場を解決できる条件では、実験参加者の認知特性に集団主義的な傾向が検出されるようになった。それに対し、粗悪な商品の作り手を罰するための罰基金を作って社会を組織化することによってレモン市場を解決できる条件では、実験参加者の認知特性に個人主義的な傾向が検出される兆しが見られた。

 ただし、集団取引における手続きをすべて、コンピューターを介して行うように設定した第2実験では、実験参加者の認知特性に、仮説どおりの変化は検出されなかった。その原因は、第2実験で新たに採用した尺度の妥当性に疑問が残ることに加えて、第1実験に比べて評判が効力を持たなかったこと、つまり、評判を流して社会を組織化することでレモン市場を解決していることを実験参加者にプライミングしきれなかったこと、にあると考えられる。このことは、実験参加者に対してその周囲の環境中に存在する社会的適応課題を明示的にプライムし、何らかの社会の仕組み・組織化の方法によってそれを解決している状況に実験参加者を直面させなければ、その認知特性は有意に変化しないことを示唆している。そのことを明らかにした点で、本研究は、既存の文化心理学の研究と一線を画するものである。


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