題目:相談しよう、そうしよう? −問題解決における集団と個人の比較

氏名:阿部 彩子

指導教官:亀田達也助教授


集団の話し合いによる意見の集約は、一般に解が自明ではない意思決定場面では多数決によって行なわれる傾向があり、一方、解が自明な問題解決場面では、正解者が1人でもいれば集団は正解にたどり着けるとLaughlin&Ellis (1986) は論じている。これは、解の正しさを納得させる客観的な規準をメンバーが共有しているからである。課題についての何らかの信念をメンバーが共有していると、その信念に沿った選択肢は容易に正当化されやすく、集団の決定に対して強い影響力を持つ。しかし、その共有された信念のために論理的には誤った選択肢が影響力を持ち、集団の意見が間違いの方向に引き寄せられるという可能性も考えられる。本研究ではこの、共有された信念が及ぼす影響に着目した。

本研究では、共有された信念が及ぼす影響を検証するために、3段論法の結論部分が正しいかどうかを判断させる問題を個人と集団に回答させた。3段論法の結論部分には、共有された信念の一例としてステレオタイプに関するものを含んでいた。ステレオタイプに関するものとは、日本人が一般に持っている固定観念に合う内容のことである。ステレオタイプと無関係な問題なら一般的な問題解決場面と同様に、正解者が1人でも集団は正解にたどり着けるだろう。一方、結論部分がステレオタイプに合い論理的に正しい問題では、集団の意見はより一層正解の方へ向かい、その自信も高くなると予想されるが、結論部分がステレオタイプに合っているにも関わらず論理的に誤っている問題では、集団の意見は間違いの方に引き寄せられると予想される。

実験の結果はその仮説を支持するものだった。結論部分がステレオタイプに合い論理的に正しい問題では、集約過程は一般的な問題解決場面と変わらないが、集団による話し合いの時間は短く正解に対する自信は高かった。一方、結論部分がステレオタイプに合っているにも関わらず論理的に誤っている問題では、一般的な問題解決場面よりも間違いの方へ集団の意見は引き寄せられていた。

Laughlin らは解が自明なときには、正解者が1人でもいれば集団は正解にたどり着けると論じているが、メンバーに共有された信念が、論理的には誤った選択肢を支持するようなものである場合、集団の意見は間違いの方へ引き寄せられることも考えられるのである。


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