題目 所有感覚が薄れるとき -進化心理学的視点からの考察-

氏名 杉本裕史

指導教官 山岸俊男教授


 人間はなぜ、働いて得たお金は他者に分けたがらないのに、宝くじの賞金のように運良く得たお金はおごってもよいと思うのだろう。本研究ではこの疑問に対して、人間には「得られるかどうかが不確実な資源は、確実に得られる資源に比べて、他者に分けてもよいと思う」という行動傾向が進化的に備わったと考え、この仮説を実証するために実験を行った。
この仮説は、以下のように導かれる。人間は過去数百万年にわたって、狩猟採集社会で生活し、その環境に適応するように進化してきたと考えられる。数百万年の間には、身体的特徴と同じく行動傾向に関しても、適応的でないものは淘汰されただろう。一方、適応的な行動傾向は人間の心に埋め込まれ、現代人にも残っていると考えられる。

 ここで狩猟採集社会について考えてみると、この社会での栄養源は獣肉であるが、これはいつ獲物が捕れるか分からない、不確実な資源である。また狩猟採集社会では、食物を保存できない。つまり狩猟採集社会では、不確実な資源に頼って生きざるを得なかった。しかし何人かでグループをつくり、獲物をしとめた人が、しとめられなかった人にも獲物を分けてやれば、不確実性は低くなり、どの個人にとっても比較的安定して栄養が取れるようになる。つまり、分配行動が保険のような役割を果たす。実際にKaplan & Hill (1985) の研究した東パラグアイの狩猟採集社会では、獣肉など狩猟によって得られる資源は他者に分配するが、果実など採りに行けば確実に得られる採集財は、あまり分けない。このように考えると、不確実な資源の分配も、狩猟採集社会に適応的な行動傾向なので、人間には不確実な資源の分配を容易にするための心理的モジュールが備わっていると考えられる。

 質問紙による実験を行ったところ、仮説通り、得られるかどうかが不確実な資源は、確実に得られる資源よりも他者に分けてもよいと思うという結果が出た。また、被験者を個人のイデオロギーで分けても、不確実な資源をより分けてもよいと思う傾向は変わらなかったので、この行動傾向が、進化によって形作られたのであることを否定する積極的な理由はなかった。

 今後は、不確実な資源の分配が機能するために必要な、資源を分けようとしない者の排除を、狩猟採集社会でどのように行なっており、またそれが現代人の心にどのような形で残っているかということについての研究が必要であろう。


卒業論文題目一覧