題目: 表情模倣の機能に関する実験研究

氏名: 齋藤 寿倫

担当教員: 亀田達也


本研究の目的は、他者感情理解の認知的プロセスにおける表情模倣現象の機能を検討することにある。

近年、人間の認知における身体が担う役割が、Embodied cognitionとして様々な分野で注目されている。他者感情の認知に関しても身体の役割が注目を集めており、Embodied cognition theoryに基づく仮説が提唱されている。Niedenthal(2007)は、人は他者の感情を理解する際、視覚情報の処理だけではなく、観察した感情を自分自身の身体上でシミュレート(Embodiment)するプロセスがあるという仮説を提唱し、Embodimentの代表的なものとして「表情模倣」を挙げた。表情模倣とは、他者の表情表出を観察した時に、反射的・無意識的に同じ表情を表出する現象である(Dimberg, 1982)。つまり、他者の感情表出を自分の表情で再現し身体上でシミュレートすることによって、より正確に他者感情を理解することができるとする仮説である。本研究では、この仮説を検証するために以下の2つの研究を行った。

研究1では、表情模倣が他者感情理解のプロセスに関係する現象であるならば、他者感情を理解しようとする場合の方が表情模倣の生起頻度が高いだろうという予測を立て、実験で検証した。実験では、表情刺激を参加者に呈示し、その際の参加者の表情反応を顔面筋電図検査(facial electromyography; EMG)を用いて測定した。また、実験条件として表情刺激が示す感情は何か質問する条件と何も質問しない条件を設け、他者感情を理解しようとする心理的構えを操作した。

実験の結果、感情を質問した場合には悲しみ表情と怒り表情で表情模倣の生起が確認されたが、質問をしない場合ではどの表情についても表情模倣は生起しなかった。この結果は、他者感情を理解しようとする場合の方が表情模倣の生起頻度が高いだろうという予測を支持するものである。

しかし、この結果には表情模倣に関する先行研究(e.g. Lundqvist & Dimberg, 1995)を再現できておらず、EMGの指標としての信頼性に疑問が残るという問題点があった。そこで、EMGよりもノイズに対して頑健だとされるFacial Action Coding System(FACS; Ekman & Friesen, 1978)を表情反応の指標に採用し、研究2を行った。

また研究1では、表情刺激が示す感情を質問したが回答はさせていなかった。そのため研究1の結果からは、表情模倣と他者感情理解のプロセスは何らかの関係があるということは言えるが、それ以上積極的に表情模倣の他者感情理解における役割を論じることはできない。そこで研究2では、表情模倣をすることで他者感情理解が正確になるかどうかを検証するために、表情刺激が示す感情を質問した後に実際に参加者に回答を求めた。表情模倣をすることで他者感情理解が正確になるのならば、表情模倣が生起した場合の方が表情刺激が示す感情を正確に回答すると予測できる。

実験の結果、感情を質問した場合に表情模倣がより多く生起することが示された。感情別に見ると、喜び、怒り、悲しみ、驚き表情において表情模倣の生起が確認された。この結果は、他者感情を理解しようとする場合の方が表情模倣の生起頻度が高いという予測と一貫するものである。また、上述の表情模倣に関する先行研究の知見もほぼ再現できており、結果の妥当性も高いことが確認された。また、表情模倣の生起と感情理解の正確さについては、どの感情についても関連は見られなかった。よって、表情模倣が生起した場合の方が他者感情理解が正確になるという予測は支持されなかった。

以上の結果から、表情模倣が他者感情理解と何らかの関連がある現象であることが強く示された。しかし、表情模倣をすることで他者感情理解がより正確になるというEmbodied cognition theoryに基づく仮説を支持する結果は得られなかった。仮設が支持されなかった理由として、表情刺激の強度が強すぎたことが考えられる。本研究では極めて明確に感情を表す表情刺激を用いたため、課題の難易度が低すぎ、本来は存在するはずの関連を検知できなかったという可能性である。もう一つの可能性として、他者感情を理解する方法が複数存在することが考えられる。つまり、他者の感情を内的にシミュレートして理解する方法と、表情表出に関する理論を使って他者の感情を理解する方法である。表情模倣が生起していない場合でも正確な感情理解が認められたことは、このような内的シミュレーションによらない他者感情理解のプロセスがあることを示している。本研究の結果からはこれらの可能性について議論することはできないが、今後、検討すべき重要な課題だろう。


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