題目: 適応デバイスとしての自尊心:自尊心の主観的幸福感へのインパクトに対する関係流動性の調整効果
氏名: 佐藤剛介
担当教員: 結城雅樹
近年、普遍的と考えられてきた自尊心と主観的幸福感(Subjective well-being:以下SWB)や精神的健康の関連に文化差が示されている。自尊心のSWBの規定力は北米で強く、東アジアで弱い。これらの説明は、文化的自己観の違いからなされることが多いが、本研究では文化的自己観の違いに拠らない新しい説明原理の可能性を検討する。そこで、文化差に対する適応論的アプローチを用い、社会生態学的要因である関係流動性に注目することで、自尊心の通文化的な機能を明らかにし、自尊心のSWBの規定力の文化差の説明を試みる。
適応論的アプローチは、文化特定的な行動や心理傾向を、特定の社会構造や制度の下で個人に利益をもたらす「適応戦略」として捉え、個人の心と、その個人を取り囲む社会生態学的環境との相互作用を分析するものである(山岸, 1998)。本研究はその立場に立脚し、自尊心の日米差は、社会環境の開放性から生み出される関係流動性の差によって説明が可能であると考えた。関係流動性とは、ある社会、または社会状況に存在する、必要に応じて新しい対人関係を形成できる機会の多さである(Yuki, et al., 2007)。
高流動性社会では、新規形成場面が多い。そこでは、他者から望ましい相手として選択されることが重要になる。自己の社会的価値の反映である自尊心は、このような他者に選択されないとより良い対人関係が形成できない高流動性社会において、アプローチした相手から受け入れてもらえるかどうかの予測を提供する。もし自身の価値を低く認知していると、新たな関係形成の機会がある社会にあっても、望ましい他者から選択してもらえるという予期が高まらない。それが、人の将来の社会的成功の見込みを下げ、SWBの減少につながる。以上より、関係流動性の高い社会でこそ、自尊心とSWBの関連が強くなると予測される。一方低流動性社会では、人々はコミットメント関係を築いている。そこでは、新しい関係形成の機会が少ないので、自尊心はSWBに大きく影響しないと予測される。
研究1では、日本国内でも関係流動性の異なると考えられる地域間で自尊心のSWBへの規定力が異なるだろうとの予測を立てた。高流動性社会と考えられる北海道の出身者と低流動性社会と考えられる東北地方の出身者を比較した。結果は予測に一貫して、低東北出身者よりも、北海道出身者では自尊心のSWBの規定力が強いことが示された。関係流動性が自尊心のSWBの規定力に調整効果を持つ可能性が示唆された。
研究2では、研究1と同様の検証方法を用い国際比較研究を行った。また、社会の関係流動性認知の測定を目的にした関係流動性尺度によっても自尊心の規定力に違いが示されるか検証した。予測どおり、米国は日本より関係流動性が高く、また自尊心のSWBへの規定力も強いことが示された。さらに、SWBに対する自尊心の規定力の日米差は、関係流動性の文化差に完全に媒介されることが示された。SWBに対する自尊心の規定力の日米差は、関係流動性の差によって生み出されていることが確認された。
しかし、研究1・2は相関研究であり、因果関係の特定はなされていない。そこで研究3では、状況プライミング法を用いて、直面する社会状況の関係流動性の認知を操作する実験を行った。具体的には、高流動性条件の参加者には、過去に初対面の人と会話した状況を、低流動性条件の参加者には、過去に家族と会話した状況を思い出してもらった。予測に一貫して、高流動性条件では、自尊心とSWBの関連が示されたのに対して、低流動性条件ではそれらの関連は示されなかった。これらの結果は、対人関係形成における成功・失敗が重要になる高流動性状況において、高自尊心者が成功確率を高く見積もったので幸福感を得たものと考えられる。一方、関係が固定した低流動性状況では、自尊心は対人関係の成功/失敗に直接関連しないのだろう。以上より、関係流動性が自尊心のSWBの規定力の差異を生み出すという因果関係が特定された。
研究4では、国内の大規模社会調査JIS2004の2次分析研究により、自尊心のSWBへの影響に関係流動性が影響しているかを調査した。個人単位(n = 1,294, 回収率 = 64.7%)の分析と地域単位(n = 11)の分析を行った。前者では、自尊心と、関係流動性の反映と考えられる指標である一般的信頼、所属集団数、友人数と相関が示された。後者では、自尊心とSWBの関連と、勤続年数に負の相関が示された。仮説に合致するこの結果は、同じ場所に勤め続けることが多い地域では、自尊心はSWBに関連しにくいことを示している。
以上4つの研究から、関係流動性が自尊心のSWBへの規定力に調整効果を持つことが確認され、これまで文化的自己観の差異として捉えられてきた自尊心の文化差が、両社会の関係流動性の差異と、それに対する適応戦略の違いという観点から説明できることが示された。こうしたアプローチは、従来研究の焦点となってきた「北米」「東アジア」の両地域以外の、さまざまな社会にも理論的に一般化しうるという点で重要である。また、関係形成の成功を予測するという自尊心の適応的機能の側面を明らかにし、高い自尊心は高関係流動性社会において、より適応価があることを示した本研究の意義は大きいと考えられる。