題目: 最後通告ゲームにおける拒否動機の検討:不公正回避・互酬性・同一性保護
氏名: 堀田結孝
担当教員: 山岸俊男
社会心理学での公正研究において不公正是正行動に対する関心が薄れる中,近年では行動経済学においてその関心が高まっており,多くの人々がコストをかけた不公正是正行動を取ることが実証されている。その不公正是正行動の代表例として,最後通告ゲームでの拒否行動がある。
最後通告ゲームは,提案者と受け手の間で報酬の分配を行うゲームである。提案者は,受け手に対して報酬の分け方を提案する。受け手は,その提案を受け入れるか拒否するかを決定する。受け手が受け入れた場合は,提案者が決めたとおりの分け方がなされる。受け手が拒否した場合は,両者の報酬がゼロになる。これまでの最後通告ゲーム実験は,多くの受け手が自己利益の損失になるにも関わらず,不公正分配の提案を拒否することを示している(Camerer, 2003)。最後通告ゲームでの拒否は,人々は合理的に自己利益の増大を図るとする従来の経済学理論からは説明できない。経済学者たちは,人々は公正に対する選好を備えるという前提を置く社会的選好(social preference)モデルによって,最後通告ゲームでの拒否のような非自己利益追求行動の説明を試みている。社会的選好モデルからは,最後通告ゲームでの拒否の理由は公正結果への回復(inequity aversion: Fehr & Schmidt, 1999),提案者への報復(reciprocity: Falk & Fischbacher, 2006) の手段として説明される。
本研究では,最後通告ゲームでの拒否には公正の追求以外に,同一性保護という心理学的動機が存在する可能性を指摘することで,不公正是正行動を公正への選好のみから捉えようと試みる経済学者たちのアプローチに対して,心理学的アプローチの重要性を提案する。この目的をかなえるため,拒否によって公正結果への回復・提案者への報復を実現できない最後通告ゲームである,一方的最後通告ゲーム(impunity game: Bolton & Zwick, 1995)を実施し,拒否が観測されるかを検討した。
一方的最後通告ゲームでは,受け手が拒否しても受け手の報酬のみがゼロになり,提案者は自分自身に分配した報酬をそのまま受け取る。一方的最後通告ゲームでの拒否は,提案者の利益に損害を与えられないまま,提案者と受け手との利益格差を広げるため,社会的選好では拒否が生じることを説明できない。もし一方的最後通告ゲームでも拒否が生じた場合,その拒否動機としては,不公正を甘受することで低下する自己イメージを保持する意味での同一性保護動機が考えられる。
ただし,一方的最後通告ゲームでも,提案者が決めた分け方を拒否する否定的な意思を伝えることで提案者に心理的コストを与える,“社会的罰”としての拒否が生じる可能性が残っている。提案者への報復手段として,金銭的罰以外に社会的罰も含めたならば,一方的最後通告ゲームでの拒否は社会的選好でも記述可能となる。そこで本研究では,2種類の一方的最後通告ゲームを設定した。一つは受け手の拒否が提案者に伝わる“伝達ありゲーム”,もう一つは拒否が伝わらない“伝達なしゲーム”である。伝達なしゲームでは,提案者は受け手が提案の受け入れ・拒否の選択を行うことすら知らない。受け手も,提案者が受け手の選択について知らないことを知っている。伝達なしゲームでは,社会的罰としての拒否が生じる可能性も排除されている。伝達なしゲームでも拒否が観測された場合,最後通告ゲームでの拒否における同一性保護動機の役割の重要性が明確に示されると思われる。
実験1では,参加者は最後通告ゲーム・伝達ありゲーム・伝達なしゲームの3ゲームのどれか一つに割り当てられた。そして,提案者・受け手のどちらかの役割に割り当てられ,提案者と受け手の間で1,000円の分配を1回行った。実験1では,戦略法(strategy method)によって不公正分配の拒否率が測定された。受け手は提案者からの提案額を見る前に,提案される可能性のある分け方全てに対してあらかじめ受け入れ・拒否の決定を行った。実験結果は,提案者が実際に行った決定と,受け手の決定を照合させることで決まった。実験の結果,伝達ありゲーム・伝達なしゲームでもかなりの割合(最後通告ゲームでの拒否の約半分の割合)で不公正分配の拒否が観測された。最後通告ゲームでの不公正分配の拒否率は,2種類の一方的最後通告ゲームよりも有意に高かった。また,伝達ありゲームと伝達なしゲームの間で,拒否率に差は見られなかった。事後質問による分析結果も,同一性保護に関わる動機が拒否に強い影響力を持っていたことを示していた。
受け手の意思決定方法を戦略法ではなく,受け手が実際に提案者の決めた分け方を見た上で受け入れ・拒否を決定するワンショット・ゲームの形に変更した実験2でも,実験1とほぼ同様の結果が再現された。
実験結果は,最後通告ゲームでの拒否行動には,不公正な扱いを甘受する事で低下する同一性を保護する動機が無視できない割合で含まれることを示唆している。最後に,同一性保護に基づく拒否行動の適応基盤を,Frank (1988)で議論されたコミットメント問題解決のためのコミットメント戦略として捉える解釈可能性が考察に加えられた。