題目: 協力行動と利他行動における内集団バイアス
氏名: 三船恒裕
担当教員: 山岸俊男
本研究の目的は、最小条件集団における内集団バイアスが、一般互酬性に対する期待によって生じることを示すことにある。内集団バイアスとは、内集団に対して好意的に評価したり協力的に行動したりする一方で、外集団に対しては非好意的に評価したり、競争的・敵対的に行動したりする現象である。現在までの研究では、実在集団や最小条件集団において、信頼行動、協力行動、評価などの内集団バイアスが生じることが確認されている。本研究では、協力行動と利他行動の内集団バイアスを扱う。協力行動と利他行動は、自分の資源を減らして他者の資源を増やす点では共通している。本研究では、お互いの決定がお互いの利得を左右する相互運命統制のある状況における利他行動と、相手の利得を一方的に決める状況における利他行動を区別し、前者を協力行動と呼ぶ。最小条件集団における協力行動の内集団バイアスは一般互酬性の期待仮説 (神・山岸, 1997; 清成, 2002) で説明されている。この仮説によると、人々は集団内には一般互酬性が存在しているという信念を持ち、集団内で優遇しあうことが結局は自分の得になると思って内集団バイアスが生じると説明される。
実験1では1回限りの囚人のジレンマゲームを用いて、協力行動における内集団バイアスを検証した神・山岸 (1997) を追試した。実験1の結果は、神・山岸 (1997) を再現し、一般互酬性の期待が存在するときにのみ内集団バイアスが生じた。
しかし、先行研究 (神・山岸, 1997; 清成, 2002) や実験1において使用された囚人のジレンマゲームでは、直接互酬性にもとづく期待と一般互酬性にもとづく期待が混在していた可能性がある。1回限りの囚人のジレンマでは、自分の行動が相手の行動に影響しないという意味で、「自分が相手に多く渡せば、その相手は自分に多く渡してくれるだろう」という直接互酬性が論理的には存在しないゲームである。しかし、自分が資源を渡すその相手から資源を渡される関係であることから、参加者は主観的に直接互酬性の期待を感じていた可能性がある。そこで、実験2ではDictator Gameを用いて、一般互酬性の期待仮説を検証した。
実験2では、参加者はDictator Gameの分配者の役割を与えられ、900円を自分と受け手との間で分配する。受け手は分配者から与えられた報酬を受け取るだけである。よって、参加者は「多く分配すれば受け手からお返しがもらえる」という直接互酬性の期待を持つことはできない。一方、Dictator Gameでも一般互酬性の期待は残る可能性がある。一般互酬性の期待仮説によれば、自分と受け手が同じ集団に所属しているということをお互いが理解しているときに一般互酬性の期待が働く。つまり、お互いが同じ集団に所属しているという知識を共有していることによって人々は一般互酬性の期待を感じるので、Dictator Gameでも集団成員性を共有している場合は一般互酬性の期待を感じると予測される。一方、自分は受け手を内集団だと思っていても、受け手は自分を内集団だと知らない場合には、受け手が一般互酬性の期待を持つことがない。受け手に一般互酬性を期待されていないと、自分の利他行動が一般互酬性にもとづく行動と受け手に理解されないために、内集団成員に対してより多くの利他行動を示すとは考えられない。
そこで、実験2では受け手の所属集団と、分配者と受け手が所属集団の知識を共有しているか否かを操作した。155人の参加者に対して、以下の4つの状況のいずれかにおいて受け手にいくら分配するかを測定した。
実験2の結果、知識を共有している場合は、内集団の受け手に半額以上分配した人数は38人中25人(65.8%)であり、外集団の受け手に半額以上分配した人数は40人中16人(40%)で、内集団バイアスが生じていた。一方、知識を共有していない場合は、内集団の受け手に半額以上分配した人数は40人中19人(47.5%)であり、外集団の受け手に半額以上分配した人数は37人中20人(54.1%)で、内集団バイアスは生じていなかった。よって、所属集団の知識を共有している場合にのみ、内集団バイアスが生じるという一般互酬性の期待仮説を支持する結果が得られた。
本研究の結果によって、直接互酬性の感じないゲームを用いても、そこに一般互酬性の期待が存在すれば内集団バイアスが生じることが示された。一方、この結果は人々が集団という手がかりを直接互酬性の存在する場として用いないことを示しているわけではない。人々が集団という手がかりを用いて行動するときに、直接互酬性の期待を用いるのか、一般互酬性の期待を用いるのか、どちらであるかを検証することがこれからの研究課題である。