題目: 間接互恵性の成立: 進化シミュレーションを用いた選別的利他戦略の検討
氏名: 真島理恵
担当教官: 高橋伸幸
人はなぜ利他的に振舞うのだろうか。繰り返しのつきあいのある二者間における利他行動は、互恵的利他主義(Trivers, 1971)の観点から説明することができる。しかし、返報が期待できない状況における利他行動は、この観点から説明することはできない。それでは、そのような直接の互恵性に基づかない利他行動は、なぜ社会に安定して成立しうるのだろうか。
近年、この問いに対する回答としてNowak & Sigmund (1998)が提唱した間接互恵性の概念が、進化生物学を中心に注目を集めつつある。間接互恵性とは、「情けは人のためならず」という諺に端的に表現される—誰かに対する利他行動は直接には返報されずとも、まわりまわって別の他者からの返報をもたらすという仕組みである。間接互恵性が存在すれば、他者に対して利他的に振舞うことは結果的に、利己的に振舞うよりも自らに有利な帰結をもたらす合理的選択となる。ただし間接互恵性が成り立つためには、人々が、利己主義者を排除し利他的な者を利する選別的利他戦略を採用している必要がある。本研究の目的は、いかなる選別基準を備える選別戦略が間接互恵性を成立せしめるかを、進化シミュレーションを通じ、原理的に明らかにすることにある。
第1・第2シミュレーションでは、先行研究で間接互恵性の成立を可能とする戦略の候補として提唱されたimage scoring戦略とstanding戦略の有効性をそれぞれ再検討した。先行研究に倣い、ランダムマッチングのgivingゲームの進化シミュレーションを行った。ゲームではランダムに選ばれたdonorがランダムに選ばれた相手に資源を提供するか否かを決定する。donorは適切な相手(Goodな相手)には資源を提供し、不適切な相手(Badな相手)には提供しない。ただし、どのような者をどうみなすかは戦略により異なる。戦略は、対象が前回どのような相手に対して(Goodな相手 or Badな相手)どのように振舞ったか(提供した or 非提供した)という二種類の情報に基づき相手がGoodかBadかを判断する。シミュレーションでは、選別戦略が、常に資源を提供する無条件利他主義者(All-C)と、常に資源を提供しない利己主義者(All-D)の中で進化し、間接互恵性を成立せしめることができるかを検討した。その結果いずれの戦略も、特殊なモデル下における非常に限られたパラメータ範囲内でしか進化しえいことが明らかとなった。そこで第3シミュレーションでは、論理的に想定されうる全ての選別戦略について、有効性の検討を1種類ずつ行った。その結果、「Goodな相手に資源を提供した者」のみをGoodとみなす、strict disc戦略(以下、SDISC)のみが進化し、間接互恵性を成立させた。SDISCの最大の特徴は、非提供者をBadとみなして排除するのみならず、そのBadに対して資源を提供した者も排除する点にある。この結果は、不適切な相手にも資源を与えるAll-Cを排除することが間接互恵性の成立を可能とする不可欠な要件であることを示唆している。
これは基本的には、「提供者には提供し」かつ「非提供者に提供する寛容さを罰する」戦略が一般交換の成立を可能とする、とする高木(1996)の主張と一貫する結論である。ただし高木(1996)によればSDISCの「Badに対して非提供をとった者まで排除する」という要素は一般交換の成立要件として不要なはずである。また直観的にもこの選別基準は、必要以上に厳しすぎる不自然な基準であるように感じられる。一般交換は間接互恵性とほぼ同義の概念であり研究方法も類似しているが、間接互恵性研究では従来ランダムマッチング状況が想定されてきたのに対して、一般交換研究ではdonor自身が提供相手を選ぶ選択的プレイ状況が想定されてきた。そこで第4・第5シミュレーションでは、上述の結果の相違の原因を明らかにするとともに、間接互恵性(一般交換)の成立要件を再検討することを目的とし、選択的プレイ状況における間接互恵性の成立要件を、ランダムマッチング状況と比較した。選択的プレイ状況の結果は高木(1996)の結論を支持し、間接互恵性の成立要件として「Badに対する非提供者を排除する」基準は不要であることが示された。すなわち、間接互恵性の成立を可能とする条件は、Goodに対する提供者には提供する、Goodに対する非提供者を排除する、そしてBadに対する提供者を排除する、という三つの要素にあることが示された。これらの結果は、先の結果において間接互恵性の成立を可能とするために不自然なほど厳しい選別基準が要求されたのは、ランダムマッチング状況を想定していたことに起因していると示唆している。これに対して選択的プレイ状況ではそのような制約が必要とされず、より容易に間接互恵性が成立可能であった。
本研究の結果、間接互恵性(一般交換)の新たな成立要件が明らかにされた。また本研究は、これまで独立に行われてきた間接互恵性研究と一般交換研究を組み合わせることの有用性を示唆するものである。