題目: 認知的共感と対人認知の正確さ
氏名: 谷田林士
担当教官: 山岸俊男
これまでの認知的な共感研究(e.g., Dymond, 1949)では、認知的な共感能力は自己評定と他者評定のずれに反映すると考えられ、このような対人認知の正確さに焦点を当ててきた。しかし、認知的な共感研究のレビューによると、様々な方法で測定された対人認知の正確さと、心理尺度で測定される認知的な共感能力との関連は見られていない。その理由は、対人認知の全ての側面において、単一の認知的プロセスを仮定しているためだと考えられる。近年の社会的認知研究によると、他者を理解するには、いくつものプロセスが存在し、状況によって最も効率のよいプロセスが選択されている。そこで、本研究では、社会的環境に対する適応価値という観点から性質や行動傾向の説明を試みる適応論的アプローチを採用し、社会的適応課題に対応するための認知プロセスを演繹的に特定する。その適応課題とは、社会的交換場面での相互協力の達成(Cosmides & Tooby, 1992)であり、その課題に対して、他者の行動を正しく予測する能力は適応的である。この行動予測を可能にするのが、他者の視点から状況の主観的意味を理解するという認知的なプロセスであると推測する。さらに、社会的交換の方法に着目し、共感の認知的側面が重要な意味を持つのは、一般交換(Frank,1988)や初めての資源の交換時と考えている。これらの状況では、相手との関係性の性質とは独立的に相手の行動を予測することが求められ、この予測に関しては、他者の視点から状況の主観的意味を理解——交換場面の利得構造を理解し、相手が特定の利得構造にどう反応する人間なのかを理解——するようなプロセスが有効であるからだ。一方、特定の他者と直接的な限定交換(Ekeh, 1974)における行動予測には、他者との関係性の性質を正確に把握する能力などが重要な役割を持つだろう。
この適応論の視点から導かれる仮説の妥当性を検討するには、他者の視点から状況の主観的意味を理解して、行動を予測しているかどうかを実際に検証する必要がある。しかし、この検証は方法論的に難しく、脳神経科学の発展が必要とされる。そのため、本研究では、関係独立的な行動予測の正確さを、このプロセスの結果と解釈し、資質として測定される認知的な共感能力と関連を探索的に検討する。
行動予測と認知的共感能力の関係を検討するには、認知的側面の個人差を正しく測定することが重要である。これまで成人の共感能力を測定するにあたり、2つの代表的な共感尺度が用いられてきた。本研究では、それらの共感尺度を足し合わせて主成分分析を行い、下位尺度を構成する項目を再検討した。その結果、同情のような情動反応を測定する「他者指向的情動反応」尺度、不安や動揺などの傾向を測定する「自己指向的情動反応」尺度、小説や映画などに感情移入する程度の「想像性」尺度、他者の心理的視点を採用する傾向を測定する「視点取得」尺度の4つの下位尺度が得られた。前半の2つは共感の情動的側面、残り2つは他者理解のための認知的側面を測定した尺度である。
次に、この4つの下位尺度が行動予測と関連しているかどうかを検討した。本研究では、社会的交換をモデル化した囚人のジレンマゲーム(以下「PD」と記す)を用いた。対戦相手との関係性が独立的なPDと、相手との関係が直接的なPDを実施し、関係独立的と関係依存的な行動予測を操作した。2つの予測の正確さと共感の4下位尺度との関係を調べたところ、関係独立的な行動予測と相関関係にあったのは、想像性尺度のみであった。この想像性尺度は、「小説などに感情移入する」程度を測定した尺度であるが、関係独立的な行動予測と関連していることから、小説などに限定されない、「自分が他者になったかのように想像する」能力を測定しているのだろう。これまでの共感研究において、想像性能力は「情動伝染」(Dotherty, 1997)との関連が報告されてきた。本研究においても、想像性尺度と自己志向的情動反応尺度は正の相関関係にあった。このことから、想像性能力は資質的に備わった認知的共感能力と考えられるが、そのプロセスにおいては自動的な要素が強い可能性が示唆された。
本研究は、状況の主観的意味を理解するプロセスの結果として、関係独立的な行動予測の正確さを解釈した。関係独立的な行動予測と、想像性という認知的な共感との関係が見られたことから、この解釈は妥当な方向にあるといえよう。今後の課題として、感情移入するような想像性共感能力と状況の主観的意味を理解するプロセスとの詳細な関連を検討してくことが挙げられる。