題目: 地理的移動性のある選択的プレイ状況における、戦略の創発と相互協力達成条件に関するコンピュータ・シミュレーション研究

氏名: 渡邊 席子

主査: 山岸俊男


 本論文は、囚人のジレンマ研究における最新の展開のひとつである選択的プレイ・パラダイムをもとに、プレイヤー選択の側面を相互作用結果の社会的距離へのフィードバックとしてモデル化することで、強制的プレイ・パラダイムにもとづく従来の社会的ジレンマ研究の限界を乗り越える、新たな展開をめざしたものである。

 本研究で想定されている囚人のジレンマのプレイヤーは、一定のトーラス平面状を移動しながら、他プレイヤーとの距離に応じて――近くにいるプレイヤーとは高確率で、また遠くのプレイヤーとは低確率で――囚人のジレンマをプレイする。この方法により、従来の選択的プレイ――相手を選択する――の側面と、格子モデルで用いられていたローカル相互作用(まわりの相手とのみ相互作用を行う)の側面とを同時に扱うことが可能となっている。この結果、従来の格子モデルを用いて研究されてきた局所的多数派形成のインプリケーションの分析を更に進めて、動的な集団形成過程一般のインプリケーションの分析にまで拡大する可能性が拓かれることとなった。本論文で報告されている一連のコンピューター・シミュレーションは、この可能性を現実化するための試みである。

 第1章では、囚人のジレンマに関する従来の研究の流れを概括し、そこから新たに生まれてきた選択的プレイモデルと格子モデルとが、地理的移動性モデルに統合されることを明らかにしている。

 第2章では、本論文で紹介される一連のコンピューター・シミュレーションで用いるプログラムの構成と、その主要な特徴について説明されている。まず、プレイヤーの移動ルールが説明されている。プレイヤーは一度起動されると複数の相手と距離に応じて囚人のジレンマをプレイし、その結果、協力してくれた相手に近づき、非協力をとった相手からは遠ざかるかたちで合成されたベクトルに従って画面上を移動する。次に、画面上の空間的距離を、本研究においては社会的距離として論じるとする提案がなされた。この際、空間距離を社会距離として論じることに伴う問題点が議論され、その問題を基本的には社会心理学者がバランス理論として扱ってきたのと同じ方法で処理する旨が議論されている。その後、地理的移動を導入したコンピューター・シミュレーションにおける戦略「進化」モデルにおける「進化単位」ないし「遺伝子」の作り方についての説明をはじめ、プログラムの詳細についての説明が提出されている。

 第3章からは、地理的移動モデルを用いたコンピューター・シミューレーションが紹介されている。第3章ではまず、通常TFTと呼ばれる応報戦略が他の戦略に比べよい成績をあげ、進化的に安定したESS状態を形成するという従来の知見を、地理的移動の存在しないモデルを用いて再確認した。ただし、地理的移動が存在しないが従来の格子モデルに近い状態である、相手選択の範囲が小さな条件ではTFTの進化が見られなかった。これに対して地理的移動が導入された条件では、全てのプレイヤーがTFTを採用するようになり、相互に協力し合う密度の濃い集団が形成されることが明らかにされた。また形成される集団の大きさは、相手選択の範囲の大きさに対応しており、相手選択範囲が大きいほど大きな集団が形成されることが明らかにされた。

 第4章と第5章では、限定交換状況と一般交換状況とを区別し、一般交換状況における内集団ひいき的行動の適応論的基盤を扱ったシミュレーションが報告されている。まず第4章で紹介されたシミュレーションでは、内集団ひいき戦略(カテゴリーを共有する成員に対して無条件で協力し、共有しない成員に対して無条件で非協力する)はカテゴリーを共有する成員による全面非協力戦略により駆逐されることが示されている。この結果は、次の第5章において紹介されるシミュレーション結果を解釈する際の出発点を提供する意味を持つものである。

 第5章で紹介されている一連のシミュレーションは、本研究中で最も中心的位置を占めていおり、以下の結果を明らかにしている。前回自分に対して協力してくれた相手への直接的な返報が可能である限定交換状況においては、第3章でのシミュレーションの結果をほぼ再生しており、地理的移動可能状況において、TFTにもとづく相互協力集団の成立が見られたが、相互協力集団の成立にカテゴリーへの反応傾向が全く役割を果たしていないことが明らかにされた。つまり、限定交換状況で成立する相互協力集団はTFTの原理により維持されている集団であり、そこにおいては集団の成員であること自体は何の意味も持っていないことが示された。一般交換状況においては、地理的移動が存在しない状況では協力率はかなり低いレベルで終始しており、内集団ひいき的行動も認められなかった。これに対して地理的移動が導入された状況においては、内集団成員に対して協力している成員に対してのみ協力する戦略が増加し、その結果集団内部において一般交換が成立している状況、すなわち特定のカテゴリーを共有する集団内部で全員が一方的に他成員に自分の資源を提供している状況が生み出された。

第6章で紹介されているシミュレーションは、地理的移動モデルを用いたシミュレーションを使って、ノイズを伴う囚人のジレンマ状況で有効な戦略についての論争に一石を投じることを目的としたものである。1984年のアクセルロッドの研究以来、囚人のジレンマ研究においてはTFTの有効性が一般に広く受け入れられてきたが、近年、囚人のジレンマにおけるプレイヤーの行動がノイズを伴う場合には、学習原理を応用したPAVLOV戦略が有効であるとされるにいたっている。地理的移動モデルを用いたシミュレーションの結果、最も一般化した戦略はTFTでもPAVLOVでもなく、相互協力の場合にのみ協力を続け、それ以外の場合(例えば相手が協力していても自分は非協力を取った場合や、相互非協力の場合)には非協力をとる戦略(論文ではこの戦略には名前がつけられず戦略8と呼ばれている)であることが示された。ノイズの存在しない地理的移動状況では、戦略8を採用することでほぼ全員が協力する状態が達成される。但しノイズの存在する状況では、相手選択範囲が小さいときにはPAVLOVによる相互協力が達成され、また相手選択範囲が大きいときには戦略8が採用されるが、必ずしも全員協力状態が達成されるとは限らないことが明らかにされた。これに対して地理的移動性が存在しない場合には、戦略8が採用されるが全体の協力率が極めて低くなることが明らかにされた。


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