題目: 危険共有状況における人間行動の多面的理解

氏名: 田村 亮

主査: 亀田 達也


 集団生活を営む人にとって、グループが共有する危険への対処は避けることのできない重要な問題である。狩猟採集生活においては猛獣や他集団の襲撃などが、また現代社会では株価の急落や突発的な事故の発生等が、常に潜在的な危険として人々の生活を脅かしてきた。本論文では、危険を共有する状況における人の警戒行動を検討し(研究T)、さらにそのような状況での人の内的反応を明らかにする(研究U)。
危険共有状況における警戒行動は、同じ集団に属する自分を含めたメンバー全員に利益を与えるため、利他的な協力行動である。しかしながら、警戒を行うメンバーの増加に伴い危険の発見確率は限界逓減するため、警戒者数は一定の比率で均衡することが予測される(Motro, 1991)。一方、どのような選択が正しいかが不明な場合、人は多数派同調的に振舞うことが知られており(Cialdini & Trost, 1998)、誰も警戒を行わない、もしくは全員が警戒を行うという、極端な状態が集団内で生起する可能性も考えられる。

 研究Tはこれら2種類の相反する仮説を検証するために、実験室上に人工的な危険共有状況を構築し、そこでの人々の振る舞いを観察した。実験の結果、相対的にリスクが小さい場合、警戒行動は均衡に向かい、かつその形態は多型に近い形で生じることが明らかになった。一方リスクが比較的大きい場合、人は多数派同調的な振る舞いを示した。これらの結果は、人が危険の程度に応じて警戒行動のパターンを変化させる可能性を示唆する。
研究Uでは、危険共有状況における人の内的反応を検討するために、3種類の実験を行った。恐怖感情の個人間伝染が集団における警戒行動の広がりをもたらすという可能性の検討に先立ち、第1実験では顔面筋電図を用いた表情模倣の検証を行った。実験の結果、嫌悪表情の模倣は素早く、怒りと喜びの両表情の模倣スピードは比較的ゆっくり生じることが明らかになった。

  第2実験では、「危険共有状況において人は他者の警戒行動を知覚することで自らも恐怖を感じ、結果的に警戒に移る」という仮説を、認知心理学的な観点から検証した。視線の方向を測定するprobe-detection taskを用い注視行動を検討した結果、他者の警戒状態を知覚した後、実験参加者は他者の恐怖表情に視線を向け、脅威の対象であるヘビ画像からは視線を避けることが明らかになった。これらの結果は、人は他者の警戒状態を知覚することで警戒レベルを変化させることを示唆する。

  さらに第3実験では、恐怖感情が個人間で伝染する可能性を生理心理学的な観点から検討した。予め撮影された他者の恐怖表出を映像で呈示された際の皮膚電気反応(SCR)を測定した結果、表出者が示すパターンと同様のSCR波形が確認された。この結果は第2実験で得られたデータとともに、恐怖伝染の可能性を示す。

  以上のように、本論文は危険を共有する状況における人間行動を多面的に検討した。ただし、複数の実験から様々な知見が得られたものの、未だ多くの問題が取り残されている。例えば、本論文は研究Tと研究Uの結果を合わせて考察を行っているが、両研究における実験参加者は異なっており、一貫したデータとして解釈することは難しい。また、認知心理学的及び生理心理学的な観点から恐怖伝染の可能性を探ったが、このような主張にはさらなるデータの補完が必要である。

  一方本論文で得られた知見は、さらなる理論的展開の可能性を指し示す。研究Tでは、場合により警戒行動が多型に近い形で均衡に向かったが、集団への協力行動である警戒を行う人々は、生き残りのための資源を別の手段により調達しなければならない。そうした人々がどのように生き延び得るかを検討するために、新たな理論モデルの構築が待たれる。また警戒行動を多く示した実験参加者は、同時に他者の驚き表情にも敏感であったため、危険共有状況における恐怖以外の感情の働きに関しても検討を進める必要がある。さらに本論文では恐怖感情の伝染に焦点を絞り検証を進めてきたが、恐怖以外の基礎的感情が社会的に共有されるメリットの解明は次なる検討課題と言える。今後は実験室実験のみならず、社会調査やフィールドワークを通して、危険共有状況における人間行動に関する理解を、さらに深めていく必要がある。


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