題目: 不確実性の集合的処理:社会的学習の適応基盤に関する理論的および実証的研究
氏名: 中西 大輔
主査: 亀田 達也
本論文は6章から成る。第1章では統計的不確実性と社会的不確実性という二つの不確実性問題を中心に社会的学習の適応基盤について議論した。第2章と第3章では第1章の議論を受け継ぎ、個人の適応という観点から社会的不確実性がどのように解かれるのか、進化シミュレーション (第2章) から導かれた理論命題を実験により検証する (第3章) ことで明らかにした。第4章と第5章では、個人レベルの適応の問題を発展させ、社会的学習の可能性がマクロな状況にいかなる影響を与えるのか、やはり進化シミュレーション (第4章) と実験 (第5章) によって検討した。第6章では、第5章までに得られた知見をまとめ、本研究の限界と将来展望について議論した。以下では、本論文で議論した内容と得られた結果について章ごとに要約する。
第1章での中心的問題は、社会的学習が解く適応課題に統計的不確実性と社会的不確実性という二つの不確実性の問題があることを指摘することにある。これまで、社会心理学では、情報的同調 (Deutsch & Gerard, 1955) と社会的比較 (Festinger, 1954) という概念で統計的不確実性の問題が扱われてきた。しかし、情報的影響の文脈では、主に誤った多数派への同調という側面が強調されており (e.g., Asch, 1951)、社会的比較の研究は自己との関連で論じられることが多かった (高田, 1992)。そのため、これらの概念を統合的に扱うことや、情報の不確実性という観点から適応論的に説明しようという試みがなされることはこれまでほとんどなかった。
一方、Henrich & Boyd (1998) は、人類学の立場から、多数派同調や社会的比較と類似した概念を用いて、社会的学習が不確実環境下で正しい判断を下す上で有効に働く (社会的学習が情報の不確実性を低減する機能を持つ) 可能性を数理的に検討している。彼らの試みは、情報的同調と社会的比較というこれまで独立の研究対象として扱われてきた概念を、統計的不確実性の観点から統合的に扱い、社会的学習の適応基盤を明らかにしようとした意欲的な研究である。しかし、そこでも社会的不確実性の問題については全く触れられていない。不確実環境下で社会的情報が有効な情報源として機能するためには、他者が正しい情報を提供している必要がある。しかし、多くの者が個人的な情報獲得を怠り、社会的情報のみに依存すれば、社会的情報が信頼に足る理由はない。個人的な情報獲得は単に他者の行動を模倣する社会的学習よりも高いコストを要すると考えられるため、誰がコストのかかる個人的な情報獲得に従事するか、という社会的不確実性の問題を考える必要がある。Henrich & Boydのモデルでは全員が誠実に個人的な情報獲得に従事することを前提としていたため、この問題を見逃していたと言える。他者がコストをかけて個人的情報探索に従事しているのであれば、社会的情報が有益な情報源となりうるため、自らは個人的な情報探索を放棄して社会的情報に依存するのが合理的だが、他者も同様に考えて誰も個人的な情報探索に従事しないのであれば、自分はコストを払ってでも個人的な情報探索に従事した方がよい。つまり、社会的学習における社会的不確実性の問題は循環的なジレンマ問題を内包しているのである。この問題がどのように解かれるのかを第2章以下で検討した。
第2章では、Henrich & Boyd (1998) の進化シミュレーションを拡張することで、第1章で示された社会的不確実性の問題 (循環的なジレンマ問題) を検討した。すでに述べたように、Henrich & Boydのモデルでは、全員が個人的な情報探索に従事することが前提となっていた。そこで、一定額のコストを支払わなければ個人的な情報探索を行うことができないという新たな前提をモデルに取り入れ、社会的不確実性の概念を導入した。社会的不確実性が存在しても、なお社会的学習が正しい情報を獲得する上で有効と言えるのかどうかを検討するのが第2章の目的であった。シミュレーションの結果、集団内にはコストを支払って個人的情報探索に従事する者と、社会的情報のみに依存する者が一定比率で均衡することが明らかとなった。すなわち、社会的学習よりも個人的情報探索のコストが高いという非対称性が存在しても、高いコストを支払って個人的な情報探索に従事する者が存在しうるという結論である。
第3章では、第2章で示された均衡が実際の人間を対象とした実験でも再現されるかどうかを検討した。そのため、第2章で行った進化シミュレーションと質的に同等の環境を再現し、6人グループを用いて実験を行った。実験の結果、シミュレーションと同様に、コストを支払って個人的情報探索に従事する者と、社会的情報のみに依存する者が一定比率で均衡に至るという結果が得られた。
第4章では、社会的学習が可能であるという状況がマクロレベルでどのような影響を持つかを新たな進化シミュレーションを行うことによって検討した。従来、社会的学習の能力に裏付けられた文化の存在によって人間は多様な環境に適応できるようになったと考えられてきた。しかし、Rogers (1988) は単純な数理モデルで社会的学習の存在は集団レベルでは個体の適応を助けないという結論を示している。第4章ではRogersの数理モデルを拡張し、この結論を再検討した。進化シミュレーションの結果、追試条件では確かにRogersと同様の結果が得られたが、個人的情報探索を行う個体が社会的情報も参照し、それぞれの学習機会から得られた情報を統合して (社会的比較を行って) 意思決定する条件では社会的学習の可能性が集団レベルの適応度を向上させるという結論が得られた。
第5章では、第4章で行った進化シミュレーションの結果が実験でも支持されるかどうかを確認した。具体的には、社会的学習可能条件と社会的学習不可能条件の間に被験者の稼いだ獲得報酬金額 (進化シミュレーションの適応度に相当) に差が生じるかどうかを検討した。実験の結果、社会的学習可能条件の方が社会的学習不可能条件よりも被験者の平均獲得報酬金額が高く、進化シミュレーションで得られた結果が支持された。
第6章では、第5章までで得られた知見をまとめ、進化シミュレーションを仮説演繹装置として用いる研究手法の有効性について議論し、適応論をメタ理論とした理論構築が拓く可能性について論じた。